金沢“GK”克彦のこちらプロレス村役場ドットコム
1961年12月13日、北海道帯広市出身。青山学院大学卒業後、新大阪新聞社に入社。“I編集長”こと井上義啓氏のもとで『週刊ファイト』編集部でキャリアをスタート。その後、日本スポーツ出版社『週刊ゴング』編集部へ。99年から04年まで編集長を務める。05年に同社を退社。以後はフリーランスとして幅広く活躍中。テレビ朝日系『ワールドプロレスリング』やサムライTV等で解説を務めるほか、『kamipro』でも執筆。著書に『風になれ』(東邦出版)、『力説』(エンターブレイン)。通称GK(=ゴング金沢)。
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12月4日更新
1.4ドームにノアの両巨頭出陣か?
いまだから明かす三沢vs中邑の知られざる因縁関係!
気が付くと、あと1ヵ月後に迫っている新日本プロレスの1.4東京ドーム大会なのだが、今回は仕込みもバッチリであり、久々に期待感がパンパンに充満したイベントとなりそうだ。
既定カードはメインのIWGP選手権(武藤敬司vs棚橋弘至)だけであっても、参加ガイジン選手に“神の子”ミスティコ、TNAからモーターシティ・マシンガンズ、チーム3D、カート・アングル、ケビン・ナッシュと名前が挙がっただけで、私的にはもう大満足なのである。無論、金を払わずに観る私だからそう言えるのであって、ファンのお目当ては、やはりその他の日本人同士のオールスター戦(?)に集約されるかと思う。そこで、一気に動き出したのが、ここ数年交流が途絶えていた新日本とノアの関係だ。
当初、新日本サイド(菅林直樹社長)が「ドームでのオールスター戦」構想をぶち上げたところ、それにノアの仲田龍統括本部長は拒絶反応を示していた。しかし、両サイドの舌戦を経て、中邑真輔が「未知のノアに触れてみたい」と発言したことから、一気にその気運が盛り上がり、さらには『週刊プロレス』誌上で秋山準が「俺が新日本に遊びに行ったら、誰が相手してくれるのか?」とガチンコで出場の意を見せた。また、新日本勢でもっともノアを知る男・永田裕志が、「真輔がノアとの対戦を希望するなら三沢さんに触れてみたらいい」と三沢光晴との対戦を進言。この流れから見て、どうやら1.4へのノア参戦は実現に向けて動いているようだ。
仮に、三沢、秋山の出場が決まれば、小橋建太が欠場中の今、ノア両巨頭の揃い踏みとなるわけだから、これは快挙と言っていい。そこで、カードがシングルであれ、タッグであれ、三沢vs中邑の流れが有力だし、永田が進言したように、「ノアを知るなら三沢社長を体感せよ」に私も同意する。巷では、過去に中邑とノアはまったく接点がないと報道されているものの、実は試合以外で接点はあるのだ。しかも、三沢とは因縁関係(?)にある。
遡ること、5年半前……03年5月中旬〜6月上旬にかけて永田がノアのシリーズにスポット参戦した。ちょうど直前の5.2東京ドーム大会(アルティメット・クラッシュ)で高山善廣に敗れ、1年以上も保持していたIWGP王座から陥落したタイミング。新たな自分探しの旅として、行先をノアに定めたのである。当時、新日本とノアの提携関係はスムーズで交流も頻繁に行なわれていたが、シリーズ参戦を果たすのは永田が初のケース。それが引き金となってその年の『G1クライマックス』に秋山が初出場し、G1の話題を独占したことは記憶に鮮明だろう。
さて、中邑の話である。永田が出場したノアのシリーズ、富山、仙台、郡山、札幌2連戦と、地方の全5戦にすべて中邑は帯同していた。付人兼、練習パートナーである。付人とは言っても、すでに中邑は新日本のトップ戦線に浮上しつつあった。02年8月のデビュー戦(vs安田)を経て、大晦日の『猪木祭り』に出陣(※ダニエル・グレイシーに惜敗)、5.2ドームのMMAマッチ(アルティメット・クラッシュ・ルール)では、ヤン“ザ・ジャイアント”ノルキヤに一本勝ち。その実績が認められ、6.13大阪大会では高山が保持する“復活”NWFヘビー級王座への挑戦も決まっていた。キャリア9ヵ月にして、この実績。まさに怖いもの知らず。「人が5年かかるところを1年でやります」を実証していた時代だ。
実際にあの頃の中邑は尖がっていた。かといって決して生意気とも映らなかった。なぜなら、中邑の主張は正論だったし、彼なりに業界の古い仕来たりやら、疑問点を一個ずつクリアしていきたい、との意気に溢れていたからだ。果たして、当時の中邑にノアのリングはどう映っていたのだろうか?
私は仙台大会の試合後、たまたま街中で永田、中邑とバッタリ出会って朝までプロレス論をぶつけあった思い出がある。中邑は先輩・永田にも容赦なしだった。永田が「本当はウチの道場にもアマレスマットが欲しいんだよな」と言うと、「その必要性を会社に進言してくれるのが永田なんの役割なんじゃないですか?」と迫る。あの永田が返す言葉を見つけられずに頭を掻いて苦笑する場面さえあった。中邑はノアに関して多くを語らなかったが、「三沢さんとは勝負してやりますからね!」と目をギラギラさせていた。
というのも、その1ヵ月ほど前に某スポーツ紙の取材に対し、「プロレスラーがちゃんと練習期間も取れないまま、総合のリングに上がって負けてしまうのは如何なものか?」と三沢が問題提起をしていたからだ。無論、三沢は聞かれたことに答えただけであって、その主張は正論。オーナーである猪木の指令のもと、次々と総合のリングに駆り出され敗れていくレスラーの現状を憂いたものであり、むしろ「それでは新日本の選手が気の毒だ」と言いたかったようだ。
しかし、若くて血気盛んな中邑には、そんな言葉さえもおもしろくはなかったろうし、カチンと来ていたのも確かだと思う。それが、「三沢さんと勝負」という言葉になって表に出てきたのだろう。あれから歳月を経て、いま現在プロレス1本で自分を創り上げる過程にいる中邑真輔。5年半前とはまったく違う感覚で“対三沢”を口にしたわけだ。真輔には、三沢光晴の本当の強さ、とくにその世界一痛いエルボーをぜひ体感してもらいたい。