12月18日更新
5年前のG1で未遂に終わった野人再生計画!
秋山準は忘れ物を探しに1.4ドームへ出陣する

中西と秋山の因縁関係はじつにおもしろく、ドラマはすでに出来上がっている
17日、各スポーツ紙が「来年3月いっぱいで日本テレビがノア中継打ち切り」と報じて、業界に激震が走った。この9月いっぱいで関西キー局のよみうりテレビが中継を打ち切ったことから噂には上っていたものの、実際に新聞記事にまでなると、なんとも複雑な思いに駆られる。これで出鼻を挫かれた感もあるのだが、せっかく新日本の1.4東京ドームで対抗戦2試合が組まれたのだから、そちらの話題で勝手に盛り上がっていきたい。
まず中邑&後藤vs三沢&杉浦に関しては、予想以上のマッチメイクだ。会見で中邑が口にした「杉浦選手は用心棒的存在だと思う」は、まさに言い得て妙。MMA経験者の杉浦が一枚加わっただけで勝負論の面でも俄然、注目度は高まってくるからだ。そして、もう一つの対抗戦が5年半ぶりに実現する中西学vs秋山準の一騎打ち。こちらの因縁関係もじつにおもしろく、ドラマはすでに出来上がっている。二人が専修大レスリング部の先輩後輩の間柄であることは周知の通り。中西が4年生の時に秋山が新入生として入部し、いきなり二人は体育寮で同室となった。
当時から野人らしく多少の奇行(?)もあったようだが、基本的に中西は心優しい男。だから、秋山は「面倒見もいいし、中西さんに対しては悪い感情なんて何ひとつない」と言い切っている。まあ、歴史を遡ってみても、専修大レスリング部といえば、長州力に始まって、馳浩、中西、最近では平澤光秀と新日本派閥。そこで秋山が馬場さんの全日本を選んだ理由は何となく分かる。中西のことは好きでも、当時OBとして母校で幅を利かせていた長州や馳は煙たい存在だったろうし、本音を言えば相当嫌いだったのではないか(笑)。それに秋山の性格からいって、プロ入りしてまで大学の上下関係が付いて回るのもウンザリだろうと思う。
大学卒業後、中西は和歌山県庁→闘魂クラブ所属でバルセロナ五輪出場→新日本プロレス入りという道を歩んだために、大卒で即プロ入りの秋山とは92年デビューの同期となる。当時はともに次代のエース、スーパールーキーと称されていた。
その両者が初めてリングで肌を合わせたのが、03年8月のG1クライマックス。終わってみれば、悲願の初優勝を達成した天山と準優勝の秋山が主役のG1だった。秋山は公式戦で天山、中西、棚橋を破り、蝶野と引き分け、西村に不覚の黒星、さらに準決勝で宿敵・永田を撃破。どれもこれもが素晴らしい内容で、秋山株はまたも上昇している。
コロコロと様変わりする会社の路線に翻弄された中西は、心身ともに不健康な状態だった……。
ところが、唯一不完全燃焼に終わったのが中西戦だった。思い起こせば……当時の中西は心身のバランスを完全に崩していた。03年5月のアルティメット・クラッシュ(5.2東京ドーム)で藤田和之と初のMMAマッチに出陣し惜敗、さらに『K-1 BEAST II 2003』(6.29さいたまスーパーアリーナ)でK-1ルールの闘いに挑んだものの、無名のTOAに惨敗を喫した。中西が突然“格闘技路線”に目覚めたのも、当時の新日本の某幹部から「早急なIWGP王座挑戦&近い将来の中西路線」をチラつかされたからなのだが、結果的にその約束(?)が守られることはなかった。
ともかく、ただでさえ不器用な男が長くプロレスのリングを離れ、G1という大舞台で緊急復帰。コロコロと様変わりする会社の路線に翻弄された中西は、心身ともに不健康な状態だった。試合前、G1に特別参戦していたジョシュ・バーネットと打撃の練習をする中西に対し、周囲の選手が冷たい視線を送っていたのを覚えている。そんな状況を把握していた秋山は、「先輩に対して言うのは何だけど、僕なら中西さんを再生できるかと。だいたい京都弁まる出しの人が、無理して標準語でしゃべっていることじたい気持ち悪い」と言った。
そして案の定、G1での中西の試合は初戦(棚橋)、第2戦(蝶野)と散々なまでに滑りまくった。そこで迎えた静岡での3戦目が秋山戦。バチバチに仕掛けていく秋山に中西も感情を剥き出し応戦したが、最後は秋山がクルリと丸め込んで勝利。ようやく野人の片鱗が引き出された好勝負だった。
ところが、秋山が抱いた感情はまったく違っていた。試合後、静岡駅で上りの新幹線を待っていると、秋山とバッタリ出くわした。彼は私の隣に座ってこう話し掛けてきた。「ダメでした。中西先輩を再生させようと思ったけど……我ながら自信なくしました。自己嫌悪ですよ」。私が「そんなことないよ。最近の中西の試合の中では出色だったと思うけどなあ」と言うと、「これでいいって言うなら、いままでどの程度だったの?ってなるじゃないですか。中西さんが変わってしまったのか、なんか焦っているような。僕は大学の先輩・後輩というものをいい感じで出したかったんですけど」と続けた。
後日、G1を走破した後も「いろんな発見があって楽しかった。心残りと反省は優勝できなかったことと、中西戦の二つだけです」とキッパリ。あれ以降、秋山は新日本のリングに一度も上がっていない。秋山準にとって、唯一の忘れ物が中西と存分に闘うことなのだ。さて、いまの中西はというと5年半前に秋山が望んでいたとおりの男。京都弁まる出し、野人全開の中西学である。落し前の一騎打ちは、じつに楽しみなのだ。