金沢“GK”克彦のこちらプロレス村役場ドットコム
1961年12月13日、北海道帯広市出身。青山学院大学卒業後、新大阪新聞社に入社。“I編集長”こと井上義啓氏のもとで『週刊ファイト』編集部でキャリアをスタート。その後、日本スポーツ出版社『週刊ゴング』編集部へ。99年から04年まで編集長を務める。05年に同社を退社。以後はフリーランスとして幅広く活躍中。テレビ朝日系『ワールドプロレスリング』やサムライTV等で解説を務めるほか、『kamipro』でも執筆。著書に『風になれ』(東邦出版)、『力説』(エンターブレイン)。通称GK(=ゴング金沢)。
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12月29日更新
ストロングスタイル論争に男色ディーノ参戦!
平成の天才児・丸藤正道をデヴィットが超えた?
小鉄さんが噴怒の表情で立ち上がり、ディーノめがけて拳を固めて殴りかかる
多少、話題は古くなってしまうのだが、12・22&23の2日間、後楽園ホールでプロレスを腹いっぱいに満喫させてくれた『スーパーJカップ〜5th STAGE』の観戦記を書いておこうと思う。今大会にエントリーした16選手のなかで、注目の男トップ3は、丸藤正道、飯伏幸太、男色ディーノだった。連日、超満員に膨れ上がった後楽園ホールの集客に貢献したのは、間違いなくこの3選手だと思う。それはもう、観客の声援と悲鳴(?)が証明している。まず、先に結論を出してしまおう。私が勝手に制定するGK的『スーパーJカップ』大賞である。
・ベスト・アスリート賞=プリンス・デヴィット
・ベストバウト賞=丸藤正道vsプリンス・デヴィット(12・23)、プリンス・デヴィットvs青木篤志(12・22)
・ベストインパクト賞=男色ディーノ
・ストロングスタイルで賞=山本小鉄
・職人で賞=邪道&外道
というわけで、男色ディーノである。99%の絶大なる支持と、1%ほどの罵声を浴びて新日本マットに登場したディーノはとにかく縦横無尽に暴れ回った。ディーノの男色殺法をことごとく無視して攻めまくる邪道もよかったし、この一戦はベストバウトの3つ目に推薦したいほどの盛り上がり。最後は、意味もなくケツを出してからの外道(ゲイ道)クラッチでディーノが邪道を下す大金星。ホールは興奮のルツボと化した。ところが、その光景を1人だけ凄まじい形相で凝視している御仁がいた。翌23日、『Jスポーツ』の放送席で解説にあたる山本小鉄さんだ。
小鉄さんは、試合終了と同時にサッとイスから立ち上がると、バックステージに向かった。そして、新日本の大会運営スタッフに向かい、「なんで、あんなヤツを上げたんだ!!」と怒鳴り散らした。私はこの場面を見ていないのだが、相当数の記者、カメラマンがこのシーンを目撃して凍りついたという。小鉄さんは決して頭の固い人ではないし、気さくで普段はジョークなども連発する。ただし、リング上となると話は別。そういえば、今年、新日本を退団してフリーランスとなった稔が、一昨年、地方マッチの試合後、小鉄さんにぶん殴られたというエピソードを自ら明かしている。ときとして、コミカルなパフォーマンスを披露することも多かった当時の稔。それが度を超えていると感じたのか、小鉄さんがキレたのだ。
もちろん、ディーノにオファーを出したのは新日本サイドであって、それは小鉄さんも理解している。だから、ディーノ本人はもちろんのこと、視察に訪れていた高木三四郎DDT社長にクレームを付けるようなことはなかったろう。ただし、これだけの人間が目撃してしまった以上、当然この話はDDTサイドに伝わったと思うのだ。
翌23日、トーナメント2回戦・最注目のデヴィットvsディーノ……いや、小鉄vsディーノを迎える。ディーノに臆するところはない。いつものようにホール南側の客席から入場して男性ファンに次々と襲いかかる。さらに、放送席に向かった。鍵野アナウンサーを襲って唇を強奪する。その瞬間、小鉄さんが噴怒の表情で立ち上がり、ディーノめがけて拳を固めて殴りかかる。これをディーノはスカしたが、なおも小鉄さんは突進。それを巨体を誇る平澤が必死に制止する。観客は「小鉄コール」の大合唱で大喜び。ファンには伝わっていない。これはガチもガチ、ガチンコ闘争なのだ。私からすると、試合もそうだが、放送席の小鉄さんの様子が気になってしょうがない。ディーノはいつものディーノを押し通しているし、小鉄さんは固い表情で前半戦などほとんど口を開いていないようだった。そして、試合後のディーノのコメントへ。
平成マット界が生んだ天才レスラー丸藤を、デヴィットが超える瞬間を見られるかもしれない
「ストロングスタイルのなかにあって私が際だつと手ごたえ掴んだわ。小鉄さんがなんだっていうの。小鉄さんのやりかたで行き詰ったから、これだけ団体が増えたのよ。キスのなにが悪いのよ。これが私のやりかた」
参った! ある意味、真理を衝いている。普通なら小鉄さんにビビって放送席襲撃だけはパスするだろう。しかし、ディーノはプロだった。一方、小鉄さんとは大会終了後にトイレでバッタリ会ったので話してみた。「丸藤はさすがだね。デヴィットもよかった。デヴィットは練習熱心だし、センスあるし、全部プロレス向きなんだよね」と優勝戦で交えた2人を絶賛。そこで、「最大のインパクトは、小鉄さんのガチパンチですよ」と私が振ると、ちょっと顔をしかめて無言になってしまった。まだこの人、怒っている。こちらも頑固なまでにプロだし、こういった頑固ジジイが1人ぐらい残っていなければ、新日本ではないと思う。どちらが正解なんて、答えなどないのだ。
ただ、一つだけ付記しておくと、遡ること30年前……アントニオ猪木vsウィリー・ウイリアムスの世紀の一戦(80年2・27蔵前国技館)の前座で、ヤマハブラザース(星野&山本)vsグレコ&セルヒオという、とんでもない試合が実現している。グレコ&セルヒオはメキシコUWAから来日した元祖オカマ・ルチャドールである。
さて、優勝戦はほぼ私の予想どおりのカード。ここで飯伏が勝ち上がってくれば、丸藤vs飯伏も想定していたが、飯伏は1回戦で外道の職人芸に足を掬われている。丸藤は満身創痍だった。昼の自身にプロデュース興行と合わせて1日=4試合。しかも、復帰早々であり、右膝は完調ではないし、タイガースマスク戦(2回戦)ではアクシデントから右腕を負傷した。一方のデヴィットも膝を痛めている。ここで私が期待したものは、平成マット界が生んだ天才レスラー丸藤を、デヴィットが超える瞬間を見られるかもしれない、という思いだった。
丸藤はコンディションがきついなかでも、気力を振り絞って出来得る限りのパフォーマンスを披露していく。そのペースにピッタリと合わせていくデヴィット。つまり、丸藤が中心軸となって、その周囲をデヴィットが動き回るという展開。それでもデヴィットのスタミナは最後まで健在だった。正直、この一戦に限っていうなら、デヴィットは丸藤を超えていたのではないか? もし、優勝戦の相手がデヴィットでなければ、ファイナルに相応しいこれだけの好勝負は生まれなかったと思うのだ。4連戦の地獄の1日を終えて、丸藤はデヴィットを絶賛した。
「素晴らしい。ウチに欲しいね。僕がファンのころに見ていたペガサス・キッドの上をいく選手じゃないですか。新日本もしっかり掴まえておかないと、隙見せたらウチがもらいます。新しい時代に生まれたスーパーガイジンじゃないですかね」
この言葉には素直な賞賛とともに、デヴィットにひとつ借りを作ったという思いもあったのかもしれない。2010年、ともに万全のコンディションで臨む丸藤vsデヴィット戦を見てみたい。ジュニアの歴史に残る闘いとなること請け合いである。