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金沢“GK”克彦のこちらプロレス村役場ドットコム

1961年12月13日、北海道帯広市出身。青山学院大学卒業後、新大阪新聞社に入社。“I編集長”こと井上義啓氏のもとで『週刊ファイト』編集部でキャリアをスタート。その後、日本スポーツ出版社『週刊ゴング』編集部へ。99年から04年まで編集長を務める。05年に同社を退社。以後はフリーランスとして幅広く活躍中。テレビ朝日系『ワールドプロレスリング』やサムライTV等で解説を務めるほか、『kamipro』でも執筆。著書に『風になれ』(東邦出版)、『力説』(エンターブレイン)。通称GK(=ゴング金沢)。

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3月9日更新

最悪の内容と結末を露呈した川田vs崔のタイトル戦!
金本を制した丸藤正道は「最強です!」を証明した


最後まで川田は崔の土俵に立とうとしなかった。見下したまま試合を終えたような気がする


この1週間でプロレスの興行を3大会観戦したが、それぞれ印象に残った試合、シーンを書いてみたいと思う。まず、サムライTVの解説も務めたZERO1の3.2後楽園ホール大会。3.2といえば、ZERO1の旗揚げ記念日であって、気がつくともう9周年。月日の流れは早過ぎて、あの破壊王はすでに天に召されており、破壊王ジュニアの橋本大地クンがこの日、来年のプロデビューを宣言している。館内の入りは7割程度だったが、ダブル・メインイベントの内容と結末は予想外であり、なにか煮え切らないものを感じてしまった。

NWAインターコンチネンタル・タッグ選手権(大谷晋二郎&曙vsザ・プレデタ―&バンビ・キラー)は素直におもしろかった。怪物ガイジンが大暴れする図式はかつてのZERO1の十八番とするところだし、崋斬(かざん)なるチ―ム名の大谷&曙もすっかりハマってきた。なにがスゴイって、この半年ばかりで曙は立派なまでにプロレスラーに化けてしまったのだ。年間=150試合ペースで試合をこなしているうえに、元々プロレスセンスは抜群。試合をこなしていくうちに自然とウエートダウンしていくから、膝への負担も軽くなるしスタミナもついてくる。さらに、大谷というプロレスを知り尽くしたパートナーがいてくれるから、理にかなったプロレスを覚えていく。スーパーヘビーのド迫力にプラスしてタッグマッチの大醐味ともいうべきチームプレーを堪能させてくれたのだから、言うことなしだろう。

それに反して、トリの世界ヘビー級選手権(川田利明vs崔領二)にはガッカリさせられた。というか、解説にあたっていてフォローの言葉が見つからないのだ。どんな試合にも、どんな不測の事態にも100%近く対処できるアドリブ力は持っているつもりの自分でも、ハタと困り果てた。私からすれば、勝敗はどうでもよかった。テーマはたった1つだけ。崔領二が川田という最強の外敵王者に気持ちで渡り合えるかどうか? もうその一点である。周知のとおり、崔が本当の意味でトップに立てない一番の理由はここ一番での弱さにある。

07年の12.24後楽園ホールでZERO1に初参戦した鈴木みのるにオモチャにされた挙句に逆落としでオトされた。昨年の8・29後楽園ホールで実現した天下分け目の大一番、G1王者(真壁刀義)vs火祭り覇者(崔)では、真壁に完敗を喫した。この2敗が崔の弱点のすべてを象徴しており、このメンタル面の弱さを克服しない限り大谷、田中将斗の2トップを抜くことは永遠に不可能と言われているのだ。対戦する両者ともそこを理解しているかのように、「すべてを兼ね備えた崔に、なにが足りないのか教えたい」と川田が言えば、「自分になにが足りないのかこの1年で見えてきたものがある。言葉で表現できるものではないから試合で見せます」と崔。こうなると言葉は不要であって、すべての思いが一致して、この試合を迎えたかのようにも思われた。

実際、序盤の緊張感、緊迫感には堪らないものがあったし、崔の表情には覚悟が窺えた。ところが、5分過ぎに川田が左膝を押えて悶絶。ロープワークの際に空足でも踏んでしまったのか、自ら崩れ落ちる。ここから試合のテンションが急下降してしまう。当然のように、その負傷個所に集中砲火を浴びせる崔と、声を出して激痛に耐えつつ単発ながらもエゲつない攻撃を返していく川田。こうなると、いい試合など期待できないし、崔のベルト奪還だけがテーマとなってくる。そして、結果的にどちらも裏切られた。21分過ぎ、川田のPKの前に崔は沈んだ。不完全燃焼のままマットに沈んでしまった。

「また勝てなかったし、ベルトも取り返せなかった。でも、崔領二の強い気待ちは見えました。この一戦でダメなら最後通告にしようと思っていましたが、領二には執行猶予が付きました」。放送席での私は、こんな感想を述べていたと思う。なんともやりきれない。試合序盤のアクシデントは仕方ないだろう。しかし、結局最後まで川田は崔の土俵に立とうとしなかった。崔を見下したまま試合を終えたような気がする。試合終了直後、セコンドにいた大谷は凄まじい形相で川田を睨みつけていた。大谷には分かる。崔の気持ちが分かる。かつて、橋本が怪我で三冠ヘビー級王座を返上した際に、王座決定戦で相まみえたのが川田と大谷。そのとき、川田はハッキリと「役不足だ」と言い放った。見下された大谷は火の玉のように猛り狂った。大谷はあのとき自分が味わった屈辱を崔に重ねてみたのではないか? 個人的にいえば、川田の「上から目線」は好きだし、それは揺るぎない実績、プライドに裏打ちされたもの。しかし、こんな試合はいただけない。この試合から崔は「自分に足りないもの」を学ぶことなどできなかった。また、「自分に足りないもの」を見せつける前に試合も終わってしまった。こんなプロレスは最悪である。

30歳になった丸藤は本当に「最強」に相応しい男になった


続いて、新日本プロレスの3・5後楽園ホール大会。旗揚げ記念日と銘打たれた記念大会は事実上、IWGPジュニア戦の1本で勝負したように思う。会場は超満員。丸藤正道が王者になってからというもの、新日本ジュニアは活性化し、ひさしぶりにジュニア1本で勝負する興行ができるようになった。振り返ってみれば、この1年以上続いている新日本―ノアの対抗戦(交流戦)のなかで、両団体にとってもっとも大きなメリットをもたらした事象は、杉浦貴が新日本マットでブレイクし、その結果GHC王者まで上り詰めたことと、丸藤のベルト奪取により新日ジュニア戦線に火が点いたことだろう。

丸藤の2度目の防衛戦の相手は金本浩二。丸藤が「劣化版KENTA」と金本を称したことから、「20年やってきた人間に対するリスペクトがない!」と“アニキ”金本は怒り狂った。これはこれで、おもしろい。たしかに、20年やってきた金本の両膝はボロボロだし、年齢的にも43歳と厳しい年代に入った。一方では、この15年新日本のジュニア戦線を支え続けてきた功績に関してはライガーにも劣らないものがある。それに、いまでも金本はオフにはキックボクシングのジムに通っているし、四十路の研究心には衰えがないのだ。

一方の丸藤だが、彼の口から例の極めゼリフである「ノアのジュニアは最強です!」が飛び出したのは、02年1月、新日本ジュニアとの対抗戦が勃発した、まさにその日だった。当時、キャリア3年半の22歳。GHCジュニア初戴冠を達成したばかりの天才児ではあっても、どうにもライガーや金本、田中稔らの前では格が違うという感じで、ライガーと互角に渡り合える存在は唯一、金丸義信だった。それが当時の率直な印象。しかし、時を経て30歳になった丸藤は本当に「最強」に相応しい男になったと思う。

丸藤―金本戦は30分を超える大熱戦となり、「一体どうしちゃったの!?」と言いたくなるほど後楽園ホールは大爆発した。金本の蹴りに追い込まれる絶体絶命のシーンもあった。ただ、正直にいうと、追い込まれているように見えるだけであって、実際の丸藤は安定しており、私からみて彼が負けるような要素はなにひとつ見えなかったのだ。これが本当の“強さ”だろう。ヘビー級トップ戦線でも揉まれてきた丸藤の肉体は1本芯がとおったように分厚いし、実際にウエートもある。変貌した丸藤を相手に金本はいっぱいいっぱいで闘っていたように見えたのだ。だから、金本にすれば精根尽き果てた完全燃焼。一方、先輩へのリスペクトから口にこそ出さなかったものの、丸藤にとっては想像どおりの試合であったろう。もう、ここは脱帽するしかない。丸藤正道はジュニア最強(もしかしたら「ノア最強」かも?)であって、この砦を崩すには相当なレベルが要求される。そのレベルとは、単に勝つのではなくて、丸藤に匹敵する強さと技術レベルである。ここまで書けば、それを達成できるジュニア戦士が誰かは言わなくても分かっていただけると思う。

最後に、全日本プロレスの3.7後楽園ホール大会を観て気になるシーンがあった。武藤敬司の膝の状態がかなり悪化しているのだ。試合中、リング下で右膝の痛みに耐えているときの様子も気になったし、試合後も若手の肩を借りて歩行している。そういえば、2.28後楽園ホール(パワプロ興行)でも、出番は極端に少なかったし、たまたま試合前、ホールの階段を昇っていく武藤を見て愕然とした。98〜99年、膝の状態が最悪のときと同じように、背中を丸め一歩一歩ようやく足を踏み出していたのだ。大事に至らなければいいのだが……。